2001 Canada 旅日記

2001年10月27日


バンクーバーを出発 
 機内では食事は2回あった。今回の旅は本当に機内食が多かった。でも飽きる事は無かった。
 乗客が少なければ飛行機の旅も快適。それにエアカナダの席の配列は本当に助かる。横に8列だから
やっぱりゆったりしている。
 日本まであと少しと言うところで隣にいた先住民風の人に話し掛けられた。
「京都までどうやったら早く着くのか教えてくれ。」
私はガイドブックを片手にメモ用紙に地図を書き地名をローマ字で書いて手渡した。
 相手はメモを見て質問をしてきた。丁寧に教えてあげたら、最後に大きくうなずくとニッコリして「サンキュ
ー」メモを大切そうに丁寧に四つ折にしてポケットにしまうと、別の席にいたおばあさんに話し掛けてまた席
に戻ってきた。
 そういわれてみれば、そのおばあさん日本人スチワーデスさんに日本語で話しかけられていたけど何の
反応も示さなかった人だった。
オクサン「あの おばあさん日本人じゃないんだね。日本語で話しかけても返事しないよね!」
「そうだよね。」と私。おばあさんには失礼かも知れないがどう見ても日本人にしか見えない。
 日本上空は晴れていた。見慣れた紀伊半島が見えた。一寸、雲は多いようだけど晴れていた。出発する
時、日本は雨だった。帰国時は晴れている。バンクーバーは雨だったけど日本が晴れで迎えてくれたらい
いか!
 飛行機は定刻どおり無事 関西空港に着陸した。
ターンテーブルのところで荷物を待っていたら例の夫婦が別れを告げに来てくれた。
「また、どこかで会いましょう!」と、向こうのダンナサンが言ってくれた。
オクサンは「ハイ、又どこかで!」
私は笑顔で答えるのが精一杯だった。
二人が去って行くのを見ると、思い出が去って行く様で感傷的になった。
 時計の針を日本時間に戻したとき、夢の時間から現実に戻り旅は終わったのだと自分に言い聞かせた。
 関空から天王寺、そして喜連瓜破(大阪市平野区)へ。地下鉄の乗り場からのエレベータを上がり外に出
た、そこにはいつもと変らない、いつもの街が夕日の中にあった。

旅を終えて 
 今回の新婚旅行は出発の前に同時多発テロがあり、アメリカのアフガニスタン攻撃が開始され、あまり
海 外旅行をするような状況ではなかった。旅行取り止めを勧める人は多かったが、私は旅を強行。 
 他の客がいなかったおかげでゆったりとした贅沢な旅を味わえたと思う。新婚旅行という目的を達成する
以 上の収穫を得る事が出来たと思う。そして私の人生観を大きく変えた。 
 この旅行記は旅から1年近くたっての完成。あいまいになった部分は沢山ある。それでも一つの事を思い 
出すと次から次へと記憶が溢れてきて、感傷的になってしまう。 
 たしかに、時計を戻したときに旅は終わった。でも心の中で別の時計が続きの時間を刻んでいるような
気 がする。 

日付変更線を超え西経から東経へ

時計を日本時間に戻すオクサン

日本到着! 




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