2001 Canada 旅日記

2001年10月18日


朝焼けのなかのレインボーブリッジ
 長い1日を経験した次の日のわりには爽快な目覚め。表を見ると左手の方向に朝焼けのなかの
アメリカとの国境レインボーブリッジがみえた。右手の方向には「ナイアガラの滝」が轟音を立てて
いるのが見えた。景色の大きさ?こんな表現が有るのかは解らないけどもの凄く広大な景色を目
の当たりにした。日本では縦に長い(高さのある滝)を見たことがあったけど横に幅広でしかも大河
がそのまま落ち込んでいる滝は見たことが無かった。

 朝食はホテル内のスターバックスコーヒーで済ませて、ツアーに組み込まれている半日市内観光
へ。コースはワールプール→花時計→コントロールゲート→テーブルロック→霧の乙女号遊覧→ク
インヴィクトリアパーク散策→買い物(北極)→ホテル解散。マイクロバスで15、6人のツアーだっ
た。他にも新婚さんらしいカップルが2組、その他、家族連れとおばさん達のグループだった。
 天気は快晴。車窓越しの紅葉と緑のコントラストが素晴らしかった。出発も8:30と比較的早かっ
たせいもあってすがすがしい気持ちだった。気温が低いには温暖に感じた。
 ツアーのバスはレインボーブリッジを中心にすると一旦下流側に向かい花時計でUターンをして一
番上流はコントロールゲート(制水扉のついた橋)迄行ってUターン。
 ここで川の中央部に残る沈没船を見た。この船は約90年ほど前、コントロールを失いあと少しで滝
に落ちるという寸前の地点で偶然中洲に座礁。懸命の救助で乗組員は無事救助された。
 この沈没船付近は滝まであとわずかの地点で水はものすごい濁流。
 テーブルロックからカナダ滝を見た。すぐ手の届くような所を流れる濁流の迫力は・・・・・。表現の
言葉が無い。
 そしてナイアガラ観光のハイライト霧の乙女号に乗船した。
 水煙の中の船はアメリカ滝の傍らまで進んでいく。遊覧時間は約30分。運航開始(創業150年
以上)以来事故は1回しかないとのこと。
 チケット売り場からエレベータを乗り継いで桟橋に向かう。途中で合羽(実際はビニールのヤッケ
 ごみ袋の出来損ないみたい)をもらい、一応の防水体制をとる。今は配っているが以前は青色の
合羽を貸し出していたとオクサンは言っていた。
 かなりの揺れ、水煙、水しぶきは台風と地震が一度にやって来たような状態。わけのわからない
状態の中、見上げたアメリカ滝の白さと青い空のコントラストは衝撃的な印象を受けた。滝に向かう
ときは船がだんだんと揺れだし水しぶきがだんだん強く叩き付けてくる。そして気持ちも徐々に高く
なっていく。滝の傍らで全てが最高潮に達し、滝から離れて行く事で徐々にそれが静まって行く。
終わってみれば「あっ」という間の事だった。滝から桟橋までの帰りは妙なゆとりが出来てしまっ
た。緊張から開放されて一安心してしまった。
 合羽は予想通り大した役には立たなかった。ずぶぬれになったが、そんなに寒さを感じなかった
し、乾くのも早かった。
 観光も一通り済み、最後にお決まりのお土産ものやに向かった。買うつもりは無かったけど、結局
あれこれと買い物をした。その後ホテルのロビーでツアー解散。
 解散後はクリフトン・ヒル(ホテルの裏)途中のピザハッで食事。片言英語とジェスチャーでオーダ
ーを済ませ、オープンテラスでのんびりとランチ&日向ぼっこ。しかしこんなのんびりと青空の下でラ
ンチなんて学生時代以来。新宿中央公園の芝生で弁当を食べたり昼寝をしたりしたあのころをふ
と、思い出した。
 レインボーブリッジからアメリカ滝まで歩いていくことに。
 歩いて越境をしてみたかった。米ドル札と越境のノウハウは既に用意しておいた。日本を出発す
るときに米ドルを用意していたらオクサンに「いらないものを持っていくな!」と言われたが無視して
強行持参をした。
 歩いて国境を渡る!海洋国家日本では味わえない妙な気分。橋の中央に国境があり国境線上
に国際連合の旗、アメリカ側に星条旗、カナダ側にメープルリーフの旗が堂々と翻っていた。旗は
景色と空の青い色にはまっていた。
 実はこの越境にはお金が掛かる。アメリカに行くにはカナダ側のゲートで25¢を払い(ゲートにコ
インを投入して通過)、アメリカ側ゲートではのんびりしたカナダとは違いちゃんとした入国審査があ
る。このとき入国税US$6を納付する。アメリカ側の建物内はは撮影禁止。アメリカ側の係官(数
人いた)は皆腰に銃をぶら下げていた。日本人の我々からするともの凄く物騒に見える。
 アメリカ側からカナダにはアメリカ側ではノーチェックで橋に進入できる。カナダに入国するとき
に¢25(出国時と同じ)支払う。仮にそのままアメリカに戻っても入国税は必要。カナダ側も入国審
査はあるけどアメリカ側とは比較にならないくらいラフだった。なにしろ係官一人いるだけで椅子に
座ってふんぞり返っていた。対応もいい加減で我々の前で尋問していた人(白人)と急に楽しそうな
会話を始めて我々は10分近く待たされた。挙句の果てには我々が英語を理解できないと知ると小
馬鹿にして「OK!」(勝手に行ったらって感じ)だって。
 入国後はプロスペクト・パークを通ってゴート島へ。公園の芝は青々としていたけど木々は紅葉に
彩られていた。アメリカ滝に流れ落ちる川の水流は迫力。水の流れる音は凄いし流れは洪水その
もの。濁流を後に静かな公園の中を散策。
 ゴート島「風の洞穴」へ。入場料 US$6-を払って、ロッカーで黄色い合羽と足袋に着替える。
洞穴はアメリカ滝の最下部に谷側への出口がある。そこまでエレベータで降りていく。ところがこの
エレベータ30分1回の運転。そのときは不思議に思ったが、これは30分毎にツアーの人間を締め
切ってその一団をまとめて係員がガイドをするシステムだった。我々のグループはかなり重症(医
療器具を装着)のおじいさんとおばあさんの夫婦と我々と同い年ぐらいの白人夫婦、インド系10人
ぐらいのグループと一緒だった。
 時間まで売店で時間つぶし。ガランとした殺風景な売店だった。水中カメラ(コダックの使い捨て)
を買った。(後にこのカメラ大活躍!ナイアガラの必需品)
 エレベータで下まで行き洞穴を2、30m進んで出口へ。
 そこはナイアガラ川が目の前、ガイドの促すまま一団はアメリカ滝の方へ。
 そこに飛び込んできたアメリカ滝。下から見上げた滝はものすごい迫力。霧の乙女号でも凄いと
思っていたけどここは滝の本当の真横、と言うか滝の中に木製のトレイルが続いている。特にハリ
ケーンデッキ。ガイドブックでは修行僧の気分が味わえると書いてあったが修行僧どころか台風中
継のアナウンサーといった感じ。
 最初のころは「濡れたらいやだなあ」なんて思いながら歩いていたけど、いやがおでも濡れてしま
い服はびしょびしょに、滝の迫力と音に圧倒されたこともありだんだんハイテンションになった。滝を
バックに同い年ぐらいの白人夫婦と写真の撮りあいをした。インドらしき人たちは奇声をあげながらト
レイルを走り回っていた。
 ここまで来たならと、意を決してハリケーンデッキに登った。デッキに上がる階段は滝の中にあり
濁流の中を昇っていく。デッキに着いたときはもうぐちゃぐちゃになっていた。合羽より水着の欲しく
なる状態。デッキの上で下にいるオクサンに写真を撮ってもらおうとデッキの手すりのところまで行く
と、誰かが肩を叩いて呼び止める。振り返ったら例のインドの一団がずらりと並んでいて、「写真を
撮ってくれと」カメラを差し出してきた。
「なんで、こんなところで!」と思っていた。人懐こい罪の無い顔で顔で笑っている。笑顔に押され、
言われるままにシャッターを切った。「サンキュー」を連呼して彼らは走っていった。
 トレイルを一回りし、我々一団は滝の迫力を満喫し、更衣室に戻った。何か妙にスッキリしてい
た。
 その後、カナダ滝(テラピン・ポイント)の方を周ってゴート島1周。
 夜は市街地へ。街をプラプラと歩きながら店探し、デニーズがあった。他にあても無いから素直に
入った。夕飯時と言うのにガラすき。基本的に日本と同じだから注文にはこまらなかった。しかし、
よくあるパターンで料理の量がアメリカンサイズ。ハンバーグを注文したのだけどポテトの量が半端
じゃなかった。おまけにサラダを余計に頼んだものだから食べきれなっかた。オクサンも辛そうだっ
た。
 いよいよ支払い。オクサンとレシートを見ながら、「この料金チップ入っていないねえ」「うん、じゃあ
お金渡してお釣りもらわないと」って言いながらウエートレスさんに食事代のみ渡した。お釣りと引き
換えにチップを渡した。
店を出た後オクサンに「普通さあ、チップを含めたお金をテーブルに置いて店を出るんだよ!ウエー
トレスさんもそう言っていたやろ?」だって。
 デニーズから歩いてテーブルロックに。途中道を間違えてナイアガラパークウエイに出られずテー
ブルロックよりかなり上流の地点に。ここでもオクサンの叱責を受た。
 何とかテーブルロックにたどり着きライトアップされた滝の撮影開始。滝もきれいだったけど、霧に
当たった照明がまるでオーロラの様でものすごく幻想的だった。
「いつかは本物のオーロラが見たいなあ。」と、オクサン。
「そうだなあいつかは行きたいなあ」と思った。
 撮影も終わりホテルへ。今日は気持ちの上で長い1日だった。ナイアガラを十分に堪能できた。
一日が夢の中の出来事のようだった。

ナイアガラパークウエイを花時計に向かって

花時計の公園 この後ろが時計

テーブルロックから見たカナダ滝

霧の乙女号の合羽を装着した管理人

上の写真の地点から右手方向(滝の方向)
写真右がシェラトン・オン・ザ・フォールズ。
道路はナイアガラパークウエイ。

名実ともに国境線?
2004年12月訪問の時は消えていた。

国境線での記念撮影左:管理人 右:オクサン
2004年訪問の時は撤去されていた。今はない。

レインボーブリッジアメリカ側入り口

後年問題を起こした査証

風の谷




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