2004 Canadaオーロラ観賞・冬のナイアガラ旅日記

2004年12月26日
第2日目

モーテルから見た朝。時刻はAM10時。
 10時頃起床。昨晩3:30頃の就寝を考えればやや早めの起床。日本の感覚ではもう昼前だ が、この季節のイエローナイフは日の出の時間。モーテルの窓からは薄っすらとした朝焼け が見えた。
今日は市内観光が予定されている。バスが迎えに来るまで、モーテルの近所を散歩する事 にした。何しろイエローナイフの正確な地図が無いため取り合えず歩いて調査をする事にし た。
 時間にしたら11時近くでもう正午にもなろうとする時間だが朝の街に繰り出した。その辺を 散歩すると言ってもマイナス10℃以下、帽子、フェイスマスク、手袋、当然上下はしっかりと 防寒(上は私の場合スキーウエアー、下は綿パン、当然防寒用のタイツと言うか股引着 用)。やっぱり未だ慣れていないせいもあって口から息を吸い込むと、肺の奥から凍って来そ うでやや息苦しいと言うか、正確には表現出来ないがまあ、フェイスマスクは必要だと思っ た。幸いクリスマス休暇もおさまり街は活動をしている様であった。モーテルから1ブロック行 った所にセンタースクエアーモールという大きなショッピングモールがありそこの傍らにコンビ ニエンスストアーがあった。食べ物や日用品一寸したおみやげまで売っていて品揃えは豊富 だった。冷凍パイやパン、ジュースを買った。ノースウエスト準州はGSTだけで州税が掛から ない。レシートを見てやや得した気分になった。その後ショッピングモールの周辺を一回りし てモーテルに帰った。取り合えず自前で持ってきた服で昼の寒さなら凌げる事が解りオクサ ンと一安心した。借りている防寒着はかなりゴッツイので動きが制約されるためなるべくなら 動きやすい自前の服を着たかった。モーテルに戻り食事。部屋には電子レンジがあるため簡 単な調理が出来たため我々に様な貧乏旅行者は助かる。
 市内観光へ。迎えのバス(スクールバス)は定刻どおりやって来た。我々をスタートに各ホ テルを周り市内観光へ。州議事堂を外から見て(休館だった)コミニュティーセンターへ。先住 民の部族毎の旗が道に沿って掲揚してあった。コミニュティーセンターの前はフレーム湖が 凍り雪原になっていた。14時一寸過ぎだと言うのに太陽はもう沈みかけていた。その後バス は何処をどう回ったのか思い出せないがイエローナイフ空港の傍を通りオールドタウンに向 かった。空港の傍を通った時DC−3と思われる60年以上も昔からあるような飛行機が駐機 してあった。聞けばばバッファロー航空と言う会社所有で今でも現役で飛んでいるとの事だっ た。(確かかに後日飛行をしているのを見た。)しかし整備をしているとは言ってもこんな古い 飛行機が頭の上を通過するのかと思うと一抹の不安を感じた。オールドタウンに入る直前バ スは急に停車した。ガイドさんに言われ全員車外へ、民家の庭にリスがいた。「別に珍しい 光景でもないなあ〜」と思っていると白い鳥がやって来た。ガイドさんに聞くと雷鳥との事。日 本では天然記念物で見るのも稀だと思うがイエローナイフでは食用にしていると言っていた。 その後、グレート・スレイブ湖のアイスロードへ。そこで写真を撮ったりはしゃいだりして土産 物屋さんへ。いつものパターンであれこれ買い込んでしまった。ドリームキャッチャーや鍋敷 等。ついつい買ってしまうんだよね。因みにここで人気のあったのが自動車のナンバープレ ート。私は買わなかったけど熊を模った独特のもので面白いとは思った。隣の州は熊の頭が 左側に来ているらしい。土産物屋の前にある石を見たら、バンクーバのサンセットビーチにも 同じものがあった。ガイドさんに聞いたら先住民の道しるべ。色々なメッセージがこめられて いるらしい。16:00過ぎ、あたりもすっかり暗くなりバスはダウンタウンへ。夜のオーロラツア ーまで一旦解散。
 夕食を求め暗くなった街を、「キュッツ、キュッツ」と雪のしまる音を出しながら歩いた。(イエ ローナイフは物凄く乾燥している。粘膜の弱い人は一発で風邪をひいたような症状になると 思う)2ブロック先にある「エクストラフーズ」と言うスーパーに行った、が、閉店をしていた。ク リスマスのあおりか店じまいが通常より早かったらしい。向かいのケンタッキーフライドチキン に入り夕食。何を隠そうこのKFCは世界最北限のKFC。何でも世界一は記念になる。


  オーロラ観賞2日目

 今日は20時にバスの迎えが来た。我々夫婦を1番最初に拾い各ホテルを回ってオーロラ ヴィレッジへ。昨晩はほんの挨拶程度のオーロラしか見れなかったため今日に賭ける物は大 きかった。オクサンと「今日は見れるかなあ〜」とか「何か、急に曇ってきたなあ」と天候を心 配する会話ばかり。今晩も昨夜同様コタツからのオーロラ観賞。一応カメラをセットし、コタツ の中に入ってオーロラの出現を待った。コタツはほんのり暖かく寒さを忘れさせてくれる。気 温はマイナス30℃というのに気持ち良くなってついつい居眠り。1時間程大いびきをかきな がら居眠りとうとうオクサンに起こされた。
「もー恥ずかしいなあ〜」
おっしゃる通り。しかし21時ごろからずっと待っていて、挙句の果てには居眠りまでしたとい うのにオーロラーは一向に出る気配なし、そのうち雲がオーロラに見える始末。23時ごろテ ィーピーのほうから夜食が出来たと一時集合の呼び出し。せっかく準備をしたカメラをただし まうのも癪なので遠くの雲に反射するイエローナイフの街の灯りを撮影した。
 荷物を纏めてティーピーに戻ると、大きな鉄鍋に入ったカリブーの肉入り味噌スープが薪ス トーブで暖められていた。コタツに入っていたとは言え体は冷えていた。スープを飲んで体が 芯から温まる思いがした。カリブーの肉は指先ぐらいの大きさで食べやすかった。味はさっぱ りしていた。今夜のオーロラ出没は絶望的と思ったが観賞時間の延長をした。
 2:00まで待ったがこの日は曇りで最後までオーロラを拝む事が出来なかった。
 しかたが無いから夜食以降はオーロラビレッジで遊ぶ事にした。スノーシューと呼ばれるカ ンジキをつけてオーロラビレッジを歩き回った。歩きやすいし、スキーのスケーティングより楽 に雪上を進む事が出来た。先住民の知恵だねえ〜。他の人たちもオーロラが出ない苛立ち を払拭するかのように大の大人がはしゃぎ回っていた。ティーピーに戻り暖を取っていたら、 我々と同い年くらいの夫婦がしんみりと、明日は日本に帰るとか、結局オーロラを見ることが 出来なかった。等と言っていた。他のところでも、明日はバンフとかなにやら物騒な会話が聞 こえてきた。ここ数日天気が悪かったらしくまともなオーロラを見ることが出来なかったらし い。(2004年12月オーロラ観測記録参照)オクサンと顔を見合わせてしまった。
「何か洒落にならない会話だねえ」
「わざわざ、ここまでやって来て見れないなんてショックだよね」
しかし明日の我が身かと思うと会話も途絶えてしまった。
 帰りのバスの中は結構重苦しい雰囲気が漂っていた。バスからオーロラが見えないかと最 後の望みを賭けて凍った窓の氷を落として車外の空を見る人達がいた。
 モーテルに戻りカメラやビデオが結露しないように対策を施し、防寒具を干して寝支度をし た。何かここまで来てオーロラを見ることが出来ないのではないかと不安になりながら就寝し た。

イエローナフの定番?
YK Center Mallの電光掲示板
時刻は11:49 時刻のほか気温も表示される

コミニュティーセンター前の夕日。時刻は14:00頃

人気の熊のナンバープレート

オールドタウン土産物屋前のモニュメント。
先住民の道しるべ。
先住民は石を積んで道しるべを作った。
バンクーバ・サンセットビーチにも同じものが。

オーロラが見れないならと
スノーシューで遊んだ。
ティーピーの前でオクサンを撮影。
写真右側の白い斑点は
撮影者管理人の息

テレビ天気予報。
英語と先住民の文字が交互表示される。





トップへ
戻る
前へ
次へ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送